配信公演「空箱」創作記録⑦
さて。2日ぶりに交信します。
残すところあと6日。
本日は、ハコボレの髙橋が仕上げてくれた衣装に袖を通して、音響さんが用意してくれた機械音を体感しながら全シーンを通しました。少しづつイメージに近づいて来ています。後は俳優として決めなければならないラストシーン。これがハマらなかったときの悔しさはありますね。稽古を重ねます。
今日は「考察」の回です。
さて、今回は相方「大形」について考えてみる。
突然だが彼が「他人への興味が極端に薄い」のは何故なんだろう。そう思い書き始めている。今日の稽古でシーンを立ち上げる前に、俳優としての私の芝居がどう映っているのかを確認した。すると、シーンの良し悪しどころか、私に何の感情も抱いていないらしい。長所も短所も。彼の中で私は「無」なのだ。シンプルに「俳優として、共演して、私の事をどう思うか」と問うと、「シーンが終わった後にダメ出しができるのが凄い」と答えた。言葉に詰まってしまった。
ハコボレの作品で「落語から演劇」をと題して、古典を一席話た後に、関連した芝居を行う演目がある。大形もそのスタイルに参加してもう3度目だ。彼に通し稽古や本番の才に私の落語を聞いているのかと問うと、彼は「聞いていない」と答えた。驚いて、じゃあその際に「何をしているのか?」と問うと、「体が冷えないようにしている」と答えた。
なるほど。確かに本番中体を冷やすのはよくないことだ。とひと呼吸おいて考えてみても、腑に落ちない。落語の内容を元に、話の展開をもたせているのに。これは普通の演劇でも同じで。自分の出番がなく袖で待機しているときに、他の演者の芝居を観ないという事だ。
確かに俳優のタイプはそれぞれだし、それを割り切っていこうとも考えたが、思えば二人芝居でそんなことをされるとは。いや、実際には何もしていないのだが。
私は生物を扱っている以上、その時々の舞台の空気の変化や、温度に敏感であるべきだと思う。こちらの噺がよっぽど悪くて引き付けないということか。それとも興味がないのか。
彼の中で他者への感情はと共感する力がとても鈍いように思う。これは私に限らず劇団員とのやり取りの中でもだ。これは俳優を選ぶ上ではとても不利なのかも知れない。
ただ、上記で書いたがとおり。それでも私は彼と一緒に芝居をしたいと思ってる。彼の特性を生かすのが仕事で。今回の「空箱」のなかで「R-サルサン」というAIの役に挑んでもらっている。自主的に作る分にはとても楽しそうに製作をしている。
彼については考えることがたくさんある。もう少し対話を続けたいし、なんでもない喫茶店でするような会話もしてみたい。
不思議でつかみどころのない彼。今回の舞台もどう思ってるのかもわかりはしないが 。8月15日、16日の2日間。彼は良い芝居をしてくれます。結果そこが良ければいいのかも知れない。大形駿也がどんな俳優なのかがわかる「空箱」をどうぞご覧ください。
前田隆成