ハコボレ配信公演「空箱」 これからのお話。
ええ、どうも。今回も一読お付き合いを願います。
おかげさまで配信公演「空箱」を終演しました。
ーーご挨拶ーー
いつも通り、終演後に少しだけ旅をして呼吸を整えています。
ご挨拶が遅くなりました。ご視聴頂きまして誠にありがとうございました。なお、アーカイブも残ってます。45分程の作品ですので、YouTubeにて「ハコボレ」と検索してもらえるとご覧いただけます。
アンケートを設けてますのでお言葉を頂けましたら嬉しいです。
YouTubeのコメント欄への書き込みも嬉しく思います。
ーーー公演後の記録(ネタバレを含みます)ーー
改めまして、観て頂きましてありがとうございます。「配信公演」と題して挑みました。お誘いいただいた「無名劇団」さんと劇場様に感謝します。今回のお誘いがなければハコボレでは配信はしてなかったでしょう。
劇場にお客様がいない。だけれどカメラを通して絶対に観てくれている人がいる。そう信じることしかできない。こちら側と。いつでも画面を切ることができて、電話も飲食も自由な向こう側。それを繋ぐのは、気持ちなのか。技術なのか。仕掛けなのか。気持ちであって欲しいがそれほど単純なものでもないようで。
観たかった景色は「でかい鮫の絵の前での講談」このゴールは最初に描いていた。
そこに乗るテーマは「生まれながらの劣等感」であったり「コロナ禍での活動の不自由」や「職業選択」それらが渦巻くなかで、私の表現としてやりたかったことは何か。
落語の鮫講釈、講談、自身の女性化、演奏、一人芝居。などなど。今持てるものを力いっぱい握りしめていた。みようによっては全て偽物かもしれない。ただ舞台で俳優として全て本物になりたいという強い意志の元で進んでいるんだ。
ただ、終わった後に感じる虚無は今まで以上で。こんなに見えない。感じれない恐怖が時間の経過と共に広がってくる。劇場で観たかったという声が嬉しくもあり、反面どうにも苦しくなるんだ。 劇中の「適性より何をしたいか」という台詞。父から友人へ。友人からメーデーへ。メーデーからR・サルサンへ。受け継がれて。自分に言い聞かせている。相方は最後の台詞をどう受け取ったのか。その答えを私はまだ知らない。
きっとこれから大きく変わる。
台詞にも描いた通り「画面を通して」しか演劇などの「芸」を観れなくなる時代が来る。希薄になる人情。生産性と数を求められる社会。どうしてこうなるんだ。私だって同じ道を走ってる。大人は劇場の動員数やYouTubeの再生数やフォロワーや登録者。支持率。そこばかりを聞いてくる。それが本当の価値なのかという疑問にうんざりしているし、だけれどそこと向き合い続ければならない現実もわかってる。わかってるだけにどうにも毎日が生きづらい。そんな人が私の他にもたくさんいるかもしれない。その人たちはもっとこの現実とうまく向き合ってるかもしれない。
人生で叫んだことなんてなかった。だけど、叫びたい日は何度もあって。
他人の比較と自分の過去にずっと疲れてる人にハコボレ作品は寄り添いたい。
赤裸々に文章を書いているが。私も作品に救われたい一人なのだ。
私は街という街に音楽や絵が溢れればいいなと思ってる。路上ライブも路上演劇も大道芸ももっと多種多様に、寛容な社会が来ることを願っている。へたくそだっていいんだって。その人をあたたかく見守って成長する姿に拍手を送れるような。芸術が広がるような街が日本全体に広がればいいのに。
そう願った舞台「空箱」でした。
ーーー最後にーーー
ここまで目を通していただきありがとうございます。
私も上記の通り、ちいさな演劇屋のひとりです。今回の公演だってたくさんの方に届いて欲しい。劇場に観に来て欲しい思いでいっぱいでした。普段はあまり言葉にしませんが、何かが刺さった人だけでかまいません。ハコボレの今後の活動の為、少しだけでもご支援いただけますと幸いです。
前田隆成